日記を再開

また日記をつけることにした。

見開きで10年分の日記がつけられる日記帳を買ってやってみたけれど、4行が少なすぎて逆にストレス。

久しぶりにこのページを開いたら、ひとつ前の恋愛のことが書いてあったのでおっかなびっくりしながら読んだらうげげとなった。もう二度と書けないと思うから(日記だし)消すべきでないと迷ったけれど消した。気持ち悪いので。

2020年10月4日

ママとパパ、モーニング。以前はKちゃんとこの時間決まって2人きりになるのが辛いと思っていたこともあったけど、いまはもう揉めることなくトイレにも行けるし、洗顔もできるし、着替えも洗濯機を仕掛けたりもできるしで、朝ゆっくりペースで過ごせるのがうれしいと思うくらいになっている。良い。

というわけで9時半ごろまでごろごろしていて、階下に降りる。

私が色々している間は、Eテレを見たり、くーかっかをしていてくれるのだった。合掌。

昨日もうっかり2時ごろまで起きていてしまったので眠かったが大丈夫な1日だった。食べ過ぎなかったし落ち着いた気分で過ごせた。合掌。

 

「めっきらもっきらどおんどん」を初めてちゃんと読んで語感が気に入ったらしくよく口ずさんでいる。

夕方からパパと外で遊ぶ。ペネロペがやっているのをみて興味のある縄跳びに初挑戦。

イタリアンパセリを花壇に植えたらしい。

部屋にいると「はんちゃーーーん」と呼ぶ声がして、いろいろ「みて」と言う。

お風呂でママがKちゃんのシャンプーを流そうとしてお湯を両側面にかけたのをうまく凌げたことを上手だったねと言ったら、「ままがじょうずにかけたんじゃない」と言ったそうで、人のしていることをよく見ているなあと思う。

昨日もパパがいささかイライラしながら大量の柿をむいていたのに「ぱぱ かわがやまになってるね がんばれーがんばれー」と言いながらおやすみをしたのだった。ちゃんと、見ている。

会話がどんどん滑らかになって、ほどんど完璧な文章で話すことが増えた。

「ぺねろぺがみたいなあ」とか。書いてみるとなんてことないせりふなんだけど実際偉大。

まだもう少し半袖が適しているんだけど、昨日からなぜか長袖を着たがり、自分で引き出しから持ってきて着ている。

 相変わらず、体調は悪い。よくなれ〜、よくなれ〜、と祈りながら毎晩早めに寝るが、基本的に同じ気分のまま翌朝も目覚める。
 それでも、いいことは起きていて、それを忘れたくないなと思うので、どんなにきちんと書けなくて、つたない記録になろうとも、この日記を再開して、毎日のことを残しておきたいと思った。おもに、何を観たか。くりかえしになるが、観てどう思ったかは「きちんと」書けなくてよしとする。さっきツイッターで「言語的貧困は感覚的貧困につながる」というフレーズを見て私のことじゃん……としょんぼりしてしまったが、いまはどんなに貧困でも、よしとする。かわいかった、おもしろかった、すばらしかった、かっこよかった、すてきだった、楽しかった、上等。
 少し日をさかのぼりながら。
 11月3日(火)Zepp Fukuokaくるりのライブを観る。「NOW AND THEN vol.2」。「TEAM ROCK」「THE WORLD IS MINE」の再現ライブのつもりで行ったが、完全再現ではなかった。すばらしかった。二階席というのはいいなと思う。作法を知らなくて、始まるまで、立つのかな……と思っていたが、終わりまで立つことはなかった。私のちょうどまっすぐ前に岸田繁が立って、一年前に同じ場所で見た姿とはまったく別人のように感じるくらい、うれしそうにニコニコしたり、ピョンピョン飛び跳ねたりしながらギターを弾いて、歌っていた。キーボードも弾いていた。涙が止まらなくなるときが何度もあって、そのたび、私はなんで泣いてるんだろうなあと考えて、私は私の青春のために泣いてるんだろうなあと納得した。私の、大好きだった先生の、「ぼくもくるりと同じ京都の出身ですよ」という言葉を思い出した。「くるりは好きですよ」「くるりも電車が好きなんですよ」電車はくるり全体が好きなんではなくて、岸田繁が好きなんだそうですよ、先生。こういう具体的な言葉を思い出すのは本当に久しぶりで、芋づるのようにいろいろなことを思い出す。その部屋の感じ、地下鉄や旅行の感じ、あのころの何もかもの感じ。Zepp Fukuokaは来年のはじめくらいに閉鎖になるそうだ。ここは十年以上前に私が初めてくるりを観た場所で、それから何度も来ているけれど、いまだに正式な表記の仕方がわからない。
 11月8日(日)県立芸術劇場でモーツァルト歌劇「フィガロの結婚〜庭師は見た!〜新演出」を観る。井上道義野田英樹の演出。オペラは3月に観た「蝶々夫人」以来。舞台が生きていると思った。動いて、もそもそと、増えたり減ったり、膨らんだりへこんだりしていた。訳がすばらしいなと思うのと、身体をたくさん使った役者のあっちに行ったりこっちに来たりが愉快だった。
 私の原稿はいっこうにすすまない。しめきりは迫る。きっと書ける、と思うが、苦しい。
 帰宅したら想田監督の「精神」が届いていた。アマゾンは私と違って仕事が早い。原稿をしないといけないが、観たい。

 弟に連絡したら、まったく簡単にするっとマッドマックスを観に行ってもらえたので、会う(映画に興味ありそうな)人々にマッドマックスいいので観に行ってください!とすすめて回るが、苦戦する。世の中は広い。弟は映画に興味があまりないし、アクション映画はほとんど観たことがないそうだ。
 Hちゃんにはがきを書いた。マッドマックスおすすめです、と書いた。

久しぶりにこの日記を開いたら、すべての記事が消えていたのでびっくりした。
私のしたことに違いないが、どのタイミングでやったのかの心あたりがない。もしくはありすぎて特定ができない。
エゾリスがいなくなったという文を書いたところまでは覚えている。2009年である。あのあと、全部をデリートしたのだろうか。印刷のサービスを頼んで、その手続きが終わったところで、ここの日記を全消ししたのだろうか。思い出したいことを自在に思い出せるしくみには私の脳はなっていないし、どちらかというとどうでもいいことのほうなのでこれ以上の追求はしないが、消してしまうとは。われながらやりかたが姑息である。情けない。